2015年12月17日

表現がある

透明感のある黄褐色や橙色を意味するが、その色合いは、
もちろん「琥珀」からjacker薯片来ている。
その色、液体のような透明感が人を魅きつけるようだ。
ウィスキーやビールを琥珀色と表現したりもする。

琥珀は、宝石に加えられるが、もともとは、木などの樹脂。
平たく言えば「ヤニ」。
それが、地中に入り込み、長い年月をかけて固化したもの。
長い年月を経ているせいか、固さの点では、宝石そのものに加えられる硬度があるが、
もともと樹脂なので、手にすると意外に軽い。

琥珀の内部には、ときどきアリ、クモ、蚊などの昆虫が入っていることがある。
映画『ジュラシック パーク』は、
この琥珀に閉じ込められ小牧味屋ている蚊の内部にあった恐竜の血液からDNAを取り出し、
絶滅した恐竜を復活させたというストーリーを展開している。

この琥珀、中国では虎が死して地中で琥珀になったとも言われている。
その関係で「虎」の文字が入っている。

また、ギリシャ神話では、
太陽の黄金の二輪車を走らせていたバエトンの話として出てくる。
バエトンは得意になって運転していたが軌道を踏み外して転落して死んでしまう。
姉妹たちが、その死を悼んで涙を流し続け、
その涙が地底に落ちて琥珀になったという話。
琥珀には、ロマンが溢れていると言える。

当方にとっては、琥珀のロマンjacker薯片チックな話より、「琥珀色」の呑みものが魅力的。
暑い夏には、昆虫ではなく、「泡」の入った呑みものが最高だ。  


Posted by 情深深雨矇矇 at 11:57Comments(0)

2015年12月14日

悲しい夢

「及第だ。」兄さんは僕の話を聞き終ってから、落ちついて断定を下した。「絶対に落第じゃない。二、三日中に合格通知が来るよ。だけど、不愉快な劇団だなあ。」
「なってないんだ。落第したほうが名誉なくらいだ。僕は合格しても、あの劇団へは、はいらないんだ。上杉氏なんかと一緒に勉強するのは、まっぴらです。」
「そうだねえ。ちょっと幻滅だねえ。」兄さんは、淋(さび)しそうに笑った。「どうだい、もういちど斎藤氏のところへ相談に行ってみないか。あんな劇団は、いやだと、進の感じた事を率直に言ってみたらどうだろう。どの劇団も皆あんなものだから、がまんしてはいれ、と先生が言ったら、仕方が無い。はいるさ。それとも他にまた、いい劇団を紹介してくれるかも知れない。とにかく、試験は受けましたという報告だけでもして置いたほうがいい。どうだい?」
「うん。」気が重かった。斎藤氏は、なんだか、こわい。こんどこそ、折檻(せっかん)されそうな気もする。でも、行かなければならぬ。行って、お指図を受けるより他は無いのだ。勇気を出そう。僕は、俳優として、大いに才能のある男ではなかったか。きのう迄(まで)の僕とは、ちがうのだ。自信を以(もっ)て邁進(まいしん)しよう。一日(いちにち)の労苦(ろうく)は、一日(いちにち)にて足(た)れり。きょうは、なんだか、そんな気持だ。
 晩ごはんの後、僕は部屋にとじこもって、きょう一日のながい日記を附(つ)ける。きょう一日で、僕は、めっきり大人(おとな)になった。発展! という言葉が胸に犇々(ひしひし)と迫って来る。一個の人間というものは、非常に尊いものだ! ということも切実に感ずる脫髮治療
 晴れ。けさ眼が覚めて、何もかも、まるでもう、変ってしまっているのに気がついた。きのう迄の興奮が、すっかり覚めているのだ。けさは、ただ、いかめしい気持、いや、しらじらしい気持といったほうが近いかも知れぬ。きのう迄の僕は、たしかに発狂していたのだ。逆上していたのだ。どうしてあんなに、浮き浮きと調子づいて、妙な冒険みたいな事ばかりやって来たのか、わからなくなった。ただ、不思議なばかりである。永い、から覚めて、けさは、ただ、眼をぱちくりさせて矢鱈(やたら)に首をかしげている。僕は、けさから、ただの人間になってしまった。どんな巧妙な加減乗除をしても、この僕の一?〇(いちこんまれい)という存在は流れの中に立っている杭(くい)のように動かない。ひどく、しらじらしい。けさの僕は、じっと立っている杭のように厳粛だった。心に、一点の花も無い。どうした事か。学校へ出てみたが、学生が皆、十歳くらいの子供のように見えるのだ。そうして僕は、学生ひとりひとりの父母の事ばかり、しきりに考えていた。いつものように学生たちを軽蔑する気も起らず、また憎む心もなく、不憫(ふびん)な気持が幽(かす)かに感ぜられただけで、それも雀(すずめ)の群に対する同情よりも淡いくらいのもので、決して心をゆすぶるような強いものではなかった。ひどい興覚め。絶対孤独。いままでの孤独は、謂(い)わば相対孤独とでもいうようなもので、相手を意識し過ぎて、その反撥(はんぱつ)のあまりにポーズせざるを得なくなったような孤独だったが、きょうの思いは違うのだ。まったく誰(だれ)にも興味が無いのだ。ただ、うるさいだけだ。なんの苦も無くこのまま出家遁世(とんせい)できる気持だ。人生には、不思議な朝もあるものだ王賜豪主席。  


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