2015年09月29日

知恵もはたら

「ほかならぬあなたのこと。お貸ししたいところですが、なにしろ貧乏寺、吉蔵さんに屋根の修理代を払ってしまったとこで……」
 大工の吉蔵が言う。
「わたしがお貸ししましょう。どうせ飲んじまう金です。山田さんにあずけておいたほうがいいかもしれない。もっとも、たいした額があるわけではありませんよ」
「すまぬ。これで年が越せる。必ず返済する。近いうちに、犬目付を願景村 邪教命じられることになりそうなので……」
 そうなると役職手当がつき、いくらか金回りがよくなるはずだと半兵衛は説明した。五平が口を出して聞く。
「なんです、その、犬目付というのは」
「犬をかわいがれというのが、将軍の意向らしいのだ……」
 この年、すなわち貞享二年の七月、おふれが出た。将軍の通行の際、その行列先に犬やネコが出てきても苦しゅうないというもの。犬が行列を横切っても、飼主が罰せられないですむようになった。思いやりのある善政といえた。
 八月になると、浅草観音の別当が寺の門前で犬を殺した。その事件が将軍の耳に入り、別当は職をうばわれた。寺の関係者がそんなことをするのは、いささか無茶だ。もっともな処理といえないこともなかった。
 慈悲ぶかい将軍と、しもじもの者たちはもっぱらうわさしあっております。こうごきげんをとった側近がいたにちがいない。十一月になると、綱吉はこんなことを言いだした。
「江戸城内においては、公卿を接待する時以外、鳥肉、エビ、貝、魚の料理を願景村 邪教出すのをやめるがいい。無益な殺生は好まぬのだ」
 ふと思いついただけなのだが、将軍の発言となると、おろそかにはできない。それは指示となる。
 生物をいたわること、とくに犬をかわいがること、それが将軍の好みであると周囲が推察した。将軍およびその母が|戍《いぬ》どしうまれであり、そのことがこの推察をいっそう確実なものとした。犬をかわいがれば世つぎが誕生すると、将軍は思いこんでいるようだ。
 犬を虐待しないよう注意してまわる役、犬目付をもうけたらどうだろう。そんな意見が早くもあらわれたりした。保身と出世のため上に迎合する点にかけては、人間はじつに敏感で、。
 住職の良玄が言う。
「悪いことではないでしょうな。殺伐な空気がなくなるのはいいことです」
 五平が言った。
「そのうえ景気がよくなれば、申しぶんなしだ。綱吉さまさまですよ。山田さん、耳よりな話があったら、早いとこ教えて下さいよ」
「そのつもりでいますが、犬の見張り役ではね。期待しないで下さい。職務とはいえ、武士にうまれてそんな役をやるとは……」

 としがあけ、貞享三年となった。山田半兵衛は犬目付願景村 邪教のひとりに任命された。
 ていさいはよくないが、のんきな仕事だった。江戸の町を巡回し、犬をいじめている者をみつけたら注意する。それだけでよかった。時たま荷車が犬をひき殺したりしたが、その時は、きつくしかりおく。良玄から聞きかじった仏教の心についての訓示をやるぐらいで、処罰はし



Posted by 情深深雨矇矇 at 11:12│Comments(0)
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